翡翠の白菜と日本軍の関わり

フォクトレンダーの目測カメラをゲットしました。というのもColor-Lantharが搭載
されていたからですが50mmではなく42mmです。
トリップレットながらなかなかな描写ですね。

ところで上野の国立博物館で「台北 国立故宮博物院ー神品至宝ー」展を開催しておりその中で
特に「翡翠の白菜」が超人気で3時間待ちだとか 私も行きたかったですがそれを聞いたら
躊躇してしまいました。来週は少しは空くかね~~

ところでその「翡翠の白菜」と日本軍の関わりに言及したものが見つかりました。
宮崎正弘氏のメルマガ内で読者からの投稿ですがここに再掲してみます。

上野の国立博物館平成館で台湾の故宮博物院所有の歴代支那王朝の名宝が展示されている。多くの日本人が見物するだろう。
私も昔、台北で夏の蒸し暑い日にひんやりした大展示室で「翡翠の白菜」(翠玉白菜)を見た記憶がある。
この名宝は支那事変の間どのように保管されていたのだろうか。それには日本軍が関係している。
支那事変はスターリンが独ソ戦に備え、東西挟撃を防ぐため蒋介石を使って日本軍を攻撃させた戦争だ。米国の極東専門家ラルフ・タウンゼントは戦前、既に「支那事変は日ソ戦争」と記している。本格戦闘は1937.8.13に蒋介石軍が上海の日本人居留民を奇襲攻撃して始まった。支那事変は日本の自衛戦争である。
そして1937.12.13に名宝のある南京が陥落した。
この時、南京の名宝の一部は占領前に支那人の手で搬出されたが、結局日本軍の手に落ちた。しかし、日本軍はそれらを厳重に管理して、敗戦時に国民党に返還した。それを戦後1949年蒋介石が台湾に逃亡するときに、名宝を選び軍艦で台湾に運び込んだのである。このあたりは児島襄の『日中戦争』に詳しい。
この名宝の厳重な保管ぶりで日本軍の厳正な規律がわかる。
ソ連や欧米軍ならたちまち名宝を掠奪していただろう。支那人も同じだ。
これも日本軍が北京原人の骨を奪った説や日本軍の南京大虐殺があり得ない証拠だ。
中共は、革命政権なのに歴代王朝の名宝を政権の正統性を示すシンボルとして執着し、真似して北京に博物館をつくり、革命後国民から収奪した名宝を展示している。しかし内容は当然劣る。
『上海の長い夜』(鄭念、翻訳は朝日文庫、絶版)を読むと、文化大革命中、中学生の紅衛兵が、彼女の邸に乱入し国宝級の宋代の茶碗の名品を次々にたたき割ったという。
支那全土ではどれほどの名宝がうしなわれたか分からない。傲慢な独裁者毛沢東の取り返しのつかない暴政であった。
今回、上野の国立博物館で見物する日本人は、台湾の故宮博物院からやってきた翡翠の白菜や豚肉石をみて驚くだけでなく、これらの名宝の管理の歴史に日本軍が重大な貢献をしていた事実を知っておいてもらいたいものである。
これも「日本軍が北京原人の骨を奪った」という説や「日本軍の南京大虐殺」などがあり得ない証拠となるだろう。
 (東海子)


Voigtlander  Vitessa 500L Color-Lanthar 42/2.8 Kodak Ultramax400   
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by chobin02002 | 2014-06-26 09:44 | Vitessa 500L
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